Mitakara Opener どんなひと?

         

みくさのみたから。           

日本が世界に誇る

昔ながらの伝統的な生活習慣。

       

人類史上もっとも大切な

全人向けの無形文化財。

 

朝ごと日ごとに、

みたからをひらいて樂しみながら、  

この宝を次の世代へ継いでいこうと

こころざしている方たちがいます。

           

2010年より、

こうした方たちによる

ゆるやかな つながりあい

世界中・日本中に育っています。

      

2015年頃から、

こうした方たちは各国で

「Mitakira Opener」

日本でも「みたからオープナー」

と呼ばれるようになりました。
      
朝の準備運動=たまちの入口をくぐってから
世のなかで、世のなかに、
みたからをひらいている心強い人たちです。

         

    

みたからをひらいていると、

ネガティブな感情が生まれても

たちまち晴らすことができます。

                                   

みたからを日ごとひらいてきた

日戸同士だと おたがいに、

いのちの立場ですっきりと

本音のつきあいができるので、

晴れやか伸びやか 氣樂です。

                

きわめつけの元氣の術を

身につけてきた者同士、

おたがいに色んなことが、

素早く・たやすく・心地よく進んでいきます。

             

Mitakara Opener は

世界各地に広がっています。

日本にも、すべての都道府県にいます。

          

お互いにゆるやかな交遊を愉しんでいます。

みたから仲間のあいだを旅している人たちもいます。

    

Mitakar Opener には、

あらゆる職種の方がたがいます。

          

お寺の住職さんとキリスト教徒の方が

一緒に集いを主催したり。

神主さんがその集いを手伝っていたり。

          

合宿では

お百姓さんと弁護士さんとお医者さんと

作家さんとタレントさんが

主婦の方たちと一緒に語り合っていたり。

        

Mitakar Openerには、

赤ちゃんから80代の方まで

あらゆる年齢層の方たちが揃っています。

            

いのちの立場のつきあいなので、

お互いのあいだに、

序列や階位みたいなことはありません。

        

お子さんたちは

子宝さんとして大切にされます。

年配の方たちは

経験ゆたかな長老さんとして大切にされます。

 

              

          

日本中から・世界各地から

オープナーさんたちが何日か集まってきて

語り合い、踊り、交遊することもあります。

           

春分の日みたから語り部さん合宿。

夏のキャンプ場での朝までわのおどり。

夏至・秋分・冬至など、季節ごとのわのおどり。

キャンプ場での みたから秋祭り。

 

各地での2泊3日の合宿。

         

折にふれ連絡を取り合いながら

ときには「たまちの湯」で顔を合わせながら、

                  

次にまた、どこかの國で

オープナーたちと交遊できるのを

樂しみにしている人たちが

世界あちこちにたくさんいます。

                  

みたから仲間の共通点

       

世界中のオープナーさんたち、 

みんなの共通点があるようです。

ざーっと挙げてみると

およそ次のようになりそうです。

                   

1 朝ごと日ごとに準備運動=たまち入口をくぐっている

2 いつでもどこでも たちまち晴れやかになれる

3 いのちの立場を氣にかけて いのちを育てている最中

         

4 手に職をもっていて身ずからの天職を知っている

5 身ずからの夢をかなえている最中

6 日ごとにチカラをひらいてヴァージョンアップ中

      

7 いい人ぶらずに本音の人つながりを大事にしている

8 たまちの湯(お樂しみおさらい会)をひらいている

9 お祭り大好き・何かしら祭りをひらいている

           

10 平たく氣さくで 上下主従の関係がない

11 赤ちゃん大好き 子宝さんたちと仲良し

12 次世代の末広がりを想い描いている

          

団体や組織はあるの?

         

みくさのみたから みなもとのすべ

みっつでひとつ たまちのすべ

伝統的な生活習慣の呼名です。
         
 

誰もがたやすく身につけられて、

日ごと心地よく一生のあいだ続けていける

万人向けの生活習慣です。

             

みたからを身につける集いや

みたからのお楽しみおさらい会(たまちの湯)

そうした集まりを、各地で有志の方たちが楽しんでいます。
            

もちろん固定メンバーみたいな人はいません。
固定した支度係さんもいません。
その都度ゼロから

いつも新しい顔ぶれで

チカラを合わせて支度しています。

              

 

                 

みくさのみたからは、

企業団体とも

政治団体とも

宗教団体とも
思想団体とも

いっさい関わりがありません。

       

「お味噌」とか、

「お豆腐」という名前の

政治団体や企業組織がないのと同じでしょう。

       

みくさのみたからは

伝統的な生活習慣の呼名です。

      

「歯磨き」とか、
「入浴」とか

「お散歩」という名前の

宗教団体や営利組織は生まれようがありません。

               

みくさのみたからという

伝統的な無形文化財の性質上、

みたからを通じてつながっている人たちに、

拠点も、中心地も、ありません。

            

集団も、組織も、ありません。

規約も、固定した形も、ありません。

                

身につけるための集いに備えて、

公共の施設などをお借りするとき、

集いを支度してくれる方たちが

仮の団体名を用いることはあります。

それだけの一時的なことです。 

        

 

みくさのみたから、

たまちのすべ、          

これまでは

耳なれない人が多かったというだけのこと、

           

いったん広まってしまったら、

世界中の普通の人たちにとって

お散歩や歯磨きくらい

ポピュラーでメジャーでありきたりな

生活習慣になることでしょう。

    

いのちが元氣に若々しくなり、

しかも心地よい習慣なので、

いったん広まってしまったら

 あとは誰もが

ついつい続けてしまいます。

      

日ごとに続けて樂しんでいく習慣なので、

みくさのみたからを実践している人たち、      

みたからをひらいている人たちのあいだには

もちろん、ゆるやかなつながりが生まれます。

          

みたからを通じて知り合った方たちは

ゆるやかで心地よい繋がりあいを大切にしています。

昔ながらのお祭り仲間

地球家族みたいなところもあります。

           

 

         

後ろに何らかの

団体がひかえている方がたによる勧誘、

宗教団体への勧誘、

政治団体への勧誘、

ネットワーク・ビジネス団体への勧誘などは

すみません、お断りしています。

         

みながいのちの立場で対等につきあえるよう

ボス猿みたいな者を作ってあがめたりもしません。

誰かの夢に皆で寄りかかったりもしません。

            

声のでっかい誰かさんの夢を叶えるために

メンバーがみんな身ずからの夢や天職を見失って

誰かさんに依存するような、

そんな団体や組織はこの世界にとって迷惑でしょう。

              

いわゆる「みたから仲間」さんたちは、

暗黙の了解としてお互いに、

いわゆる世間の常識を尊重しながら、

世のなかでの役割を果たしながら暮らしています。

つまり、どこにでもいる、ありふれた普通の人たちです。

                 

つながり方も、つきあい方も、

その時どきの流れに従って、

いのちそのままに、いつも変化しています。

             

何かしら違和感があれば

すぐにそのことを相手に告げて、

いのちの立場で

本音のつきあいを大切に暮らしています。

           

ひとりひとりそれぞれに

自分なりのヴィジョンをはっきりと抱いて

身ずからの能力を、

それぞれの天職のなかで

フルに発揮している最中です。

           

独自なやり方でクリエイティブに

それぞれの夢を実現している最中です。

           

人として

あたりまえな

暮らしをしているだけでしょう。

 

もしもこうした

あたりまえな暮らしを阻むような

団体・組織などがあるとしたら

そんな集団は心地よい世のなかにとって

氣づまりな場所ふさぎではないですか?

       

メンバーが集団に居座ってへばりついて

コネやカネに絡め取られたりするまえに

そんな集団のボス猿さんやお偉いさん方は 

集団を解散してしまったほうが

すっきり世のため人のためでしょう。

              

伝え手の飯田茂実はどんな人?

            

みたから仲間のつながりあいの

中心人物とみなされている飯田茂実は、

どこにでもいるような普通のおっさんです。

        

いつも何かに夢中になっていて、

あまり面倒見がよくなくて、

人にしてあげたことも、

人にしてもらったことも

わりとすぐに忘れてしまいます。

     

頭でっかちに正しいことが苦手です。

いい人ぶったり見栄張ったりが苦手です。

まっすぐなことが苦手です。

               

輪とか球とか川の流れとか

いのちの色んな形状などなど、

曲がったことが大好きです。

       

ちょっとかっこつけてみせたり、

ちょっとモテモテしたりするのも

まあ人並みに好きです。

      

ダンス・音楽・発酵食品の普及など

今まで色んなグループの中心にいました。

今までに関わったり率いたりしたグループの特徴は、

みんなが仲良く対等で育ち盛りということです。

     

ボス猿になれるタイプではないです。

勝手にボス猿扱いしてくる人を

迷惑がっているおっさんです。

       

田舎者です。

方言で喋っているときは

意味が取れないこともあるようです。        

基本的に、

先祖代々不良少年の

エロ・バカ・ちょいワルです。

    

父親は孤児で

諏訪の不良少年たちのリーダーでした。

その子供の飯田茂実のほうは、

ワルのリーダーたちとは仲良しでも

ワルのリーダーをやっていたことはありません。

        

調停役っつうだか、

ワルのあいだを取り持ったり

喧嘩が起こって刃物が出てきたりすると

あいだに入って止める役でした。

スラムで暮らしていたときなんかも

喧嘩が起こると止める役。

         

どういう人と言ったらいいのか 

暮らしぶりやキャラクターが

いつでも激変しているので、

頼ろうとしても、まったく頼りになりません。

            

すがってくる人がいると、

最初にまず、蹴りつけたりする人です。

傷つけられるのも傷つけるのも平気、

野生(というか野蛮)なところがあります。

           

エロ・バカ・ちょいワルな人に

ぶらさがったり

寄りかかったりしてもムダです。

            

 

                    

いのちの立場で本音のままに

末広がりな未来の世界を

日ごと想い描きつつ暮らしている。

            

直感のおもむくままに振る舞って、

人づきあいも遠慮がなくて単刀直入。

     

いつも色いろ観察しては

新しいことを面白がって

いつも色いろ学び続けて

いつも色いろ工夫している。

            

そんな飯田茂実のキャラは

みたから仲間のつながりあいにも

いくらか影響をおよぼしているかもしれません。

飯田茂実にはできないことを

仲間たちが補う、という意味も含めて。

                

飯田茂実が元氣に生きているあいだは、

みたからをひらき続けたサンプルとして、

皆にみたからを伝え続けてきた張本人として、

いつでも みたから仲間の真ん中や

片隅の縁にいることでしょう。

          

       

        

みくさのみたからの可能性は無限です。

              

みたからをひらいて日戸になったら

ひとりひとりが身ずからヤミを晴らすことができる。

身ずからいのちのチカラをひらくことができる。

       

この世の流れを いのちの立場で

心地よいほうへ大きく変えていける。

すべてのいのちにとって必須の生活習慣です。

      

みくさのみたからの復興は

後になってふりかえったとき

人類史上の一大事件かもしれません。

           

ところが ところが

      

こんな驚きの世界文化財を

こんなありふれたおっさんが

普通に人まじわりをしながら伝えている。

      

偉大な人でも先生でもない。

普通に野良仕事して

普通に子育てしている田舎者です。

        

すべてのみたから仲間と

つながっている伝え手さんが

こんなにありふれていていいんでしょうか?

         

こうした記事を書いているのも

お察しの通り、ご覧の通り、

飯田茂実・本人です。  

             

世のなかのこと、     

3年後に向けて、

300年後に向けて、

今のうちから色いろと

支度しておくことがあるようです。

          

色いろ地道に支度中です。