香川 光得(かがわ みつえ)

 

人事組織コンサルタント。49歳。長野県在住。

現在は里山に暮らし、子育てを樂しみながら、
発酵食や郷土食を中心に、美味しいものづくりに取り組んでいる。

 

  わたしは、大学を卒業後は着々とキャリアを積み上げ、ゆくゆくは起業しようと目論んでいた。しかし、2011年の東日本大震災を経て「このまま大量消費する暮らしが持ちこたえることはあり得ない」と痛感し「どこで・何をするか」を大きく変更せざるを得なかった。加えて、福島原発事故の影響を受けて実施された計画停電を経験したことで、暮らしを心地よく保つのに「必須」な物はなるべく少なくし、いまあるものがたとえなくなっても、心地よく暮らしていかれるようになろうと決意した。世のなかをもっと良くするとか、持続可能な社会を実現するとか、そういうことを想い描くなら、まずは自分自身が、リアルに、具体的に、生々しく、より良い持続可能な暮らしを実現することからはじめることにしたのだ。


 そんなこんなで、東京から信濃の國の山里に移り住み、子育てと野良仕事を中心にいのちを育む暮らしに移行した。家族と、電氣もガスも水道もないモンゴル式のゲルに住み「日常生活が避難所生活」みたいな暮らしを樂しみはじめた。収入額は東京で働いていたときとは比較にならないほど少なくなったものの、いただきものや自分で育てた物、採ってきた物がたくさんあって、むしろ暮らしは豊かになった。家族だけの小さな暮らしから徐々に、ご近所さんたちとともに味噌や醤油や糀や漬けものを仕込み、野生の草花から薬を拵えるなど、暮らしのすべや知恵や成果をご近所さんたちとわかちあえるようになった。

 ここまででわたしは「自分は自分の人生を、世のなかの人々からそこそこに良い評価をもらえる程度にはやり遂げた」と、すでに完了近いものとして受け入れていた。ここから先は、いまある暮らしから手を伸ばせば届く延長線上にあることを、ひとつひとつこなしていけば十分だとおもっていた。自分と家族とせいぜいご近所さんという小さな狭い範囲の暮らしを、心地よく晴れやかにすれば満足だった。

 しかし、みたからをひらくようになってなんとびっくり、日本全国津々浦々、そして、海外の國々にも、暮らしのすべや知恵や成果をわかちあい、たとえ離れていても、ともに心地よく晴れやかに暮らす仲間ができてしまった。自分は自分の人生をわりとよくやり遂げて、すでに完了近いなんてとんでもない、あんたの人生まだまだこれからだと後ろから蹴飛ばされている感じがした。自分と家族とせいぜいご近所さんという、小さいちっぽけな範囲を満たせばそれで満足なのか?そんな憤りみたいなものが湧き上がった。都会の経済活動から離れて山里に暮らすようになって、自分の世界を一旦小さめ狭めに設定したものの、実際に世界が小さく狭くなったわけではないということを、みたからをひらいて切実に想い出した。

 そしていまわたしは、野良仕事を暮らしの基本に、翻訳や出版など実際に暮らしのすべや知恵や成果をわかちあうプロジェクトに携わりながら、日本全国の、海外の國々のみたからをひらいている仲間たちと、日ごとに連絡をとりあっている。そして、具体的な成果をあげることで、実際に世のなかと関わり、人々と関わっている。

 プロジェクトをすすめていく上で、スケジュールや作業手順や費用は管理するものの、理念のようなものは掲げていない。これまで営利目的であろうがなかろうが、「集団」にとっていつも「理念」は「共有」されるべきものとして認識されてきたが、みたからをひらいている仲間たちの間では、特に示し合わせて共有し擦り合わせなくても、大体の行き先、見通しのようなものが、自然に合ってしまう。また、役割分担についても、みたからをひらいている仲間たちの間では、長々と話し合わなくても自然に「適材適所」になっていく。各々の特徴を観察し合うことで、相互に補い合う配置になっている。これが、みたからをひらく前と後では、圧倒的に大きく異なる点だ。

 みたからをひらいている仲間たちとは、共同で何かを成し遂げるのがとても「樂」なのだ。何か困難なことがあったとしても、とても「樂」にやり遂げることができる。それは、みたからをひらいていると「正直で素直で率直で裏表がない」とならざるを得ず、それがひらいている人全員の共通点なので、お互いに余計な氣兼ねが要らない。正直に言いたいことを言っても、素直に自分の感情を出しても、だいじょうぶだという信頼感があるので、緊張がない。氣兼ねと緊張がないだけで人は、余すところなく能力を発揮できるのは一般的に知られていることだが、それに加えてみたからをひらいている人たちの間には、強力な相互補完関係が成り立っている。たった一人のハイパフォーマーがどんなに頑張っても、一人でできることには限界があるが、もともと能力をひらいている人たちがさらに相互で補完し合うチームになったら、どれだけのことを成し遂げることができるだろう。みたからをひらいている人たちで形成されたチームは、どんな分野においても、どんな役割を担うにしても、最強であることは間違いない。

 これまで人事管理や組織開発のマネジメントを専門としてきたので、いわゆる「成功哲学」や「目標設定」についてはさんざん学んできた。そして、組織の発展における最大の課題は、いかに世のなかに好ましい印象を与える「理念」を構築するか、その「理念」を組織内で共有するかだと認識してきた。ところが、たとえどれほど好ましい理念であっても、他人が設定したものを自分のものとして受け入れようとすると必ず違和感が生じることを、みたからをひらくようになって実感した。その違和感をないものとしてごまかそうとすると、悩みや苦しみが生じる。その悩み苦しみを忘れたことにするために、様々な代償行為を必要とする。しまいには代償行為のための費用を得るために仕事をするという具合に、目的がいつの間にかすり替わってしまう。このように、企業や組織の活動は効率優先主義でありながら、ほとんどの場合は本質的に非効率的であることも、みたからをひらくようになって明確になった。

 以上のことから、あらゆるひと、あるいは企業や組織においても、もっともてっとり早く目標を達成し成果を出すのにおすすめなのは、おのおのがみたからをひらくことである。おのおのがみたからをひらけば、おのおのの能力がたやすくひらき、次々に成果が生まれ、次々に新たな夢や希望や目標が出現する。いくら耳障りのいい「理念」を掲げてそれを共有しても、他人が設定したものは所詮絵に描いた餅に過ぎず、みずからの希望や欲求を満たしはしない。また、ひとつ目標を実現すると自然に次の目標がうまれてくるが、実現してみないことには次にどんな目標が出てくるのかは、本人にも周囲の人々にも想像することができない。とにかく、どんどん叶えて実現しないことには、先は見えないのだ。

 今回このおすすめ文を作成するにあたり、図らずも、これまで自分が世のなかとどういう領域で、何を切り口に接してきたかを棚卸しする作業をすることになった。そして改めて、あの分野のあの人にも届けたい、という具体的な対象を、ひとしきり洗い出すことになった。

 そうして洗い出してみたところ、想い浮かべた「おすすめを届ける相手」のメインは、かつて仕事でご縁をいただいた経営者さんたち、ビジネスパーソンたち、あるいは、人道支援団体に所属している人たち、内戦があった國で武装解除という役割を担っている人たちだった。つまり、みくさのみたからは、チームビルディングあるいは「村づくり」に、最高に有効な生活習慣でもあるのだ。

 去年の今ごろは、とにかく自分が日ごとみたからをひらいて心地よくなることに集中していたので、こんな風に、みたからが最強のチームをつくるための生活習慣でもあることなど、微塵も想いつかなかった。やはり、ひらいてみないとわからない、ひらいてはじめてみえてくることがあると実感する。そして、そのことに氣づくことができた自分の運のよさも実感する。
 みたからをひらいて能力をひらき、成果を出し、夢を叶え、また新たな能力をひらいていく。信頼する仲間たちとちからを合わせる。これには、いま現在6歳と2歳のこどもを育てているわたしにとって、こどもたちに「生きたサンプルをみてもらう」という意図が含まれている。

 みたからをひらくようになって、こどもに「大きくなったら何になるの」という質問をしなくなった。自分が想い描いてやると決めたことは、訓練をしなくても資格をとらなくてもできることを次々に体験しているので、やりたいことを体裁のいい職業名で限定してしまうこの類の質問が、いかにこどもの発想を狭め、夢を小さくするものであったかを思い知った。こどもには「何になりたいか」ではなく「本氣の本音で心の底から何をしたいか」を訊く。そうすると、こういうやり方もあるし、別のこういうやり方もあるね、と、どんどんやることが具体的になっていくし、ともすると大人になるまで待たなくても今すぐできることもあることに氣づく。

 こどもの頃に「絵描きさんになりたい」「歌い手さんになりたい」と抱いた夢を「そんなことでどうやって食べていくんだ」と打ち砕かれた人は少なくないのではないかとおもう。諦めた夢を忘れたことにして、誰にでも認めてもらえるような立派な職業に就いて、地位も収入も確立したけれど、なんとなく虚しくて「自分探し」を続けてしまう。そんな人にことさらに、みたからをひらくことをおすすめする。みたからをひらいて、諦めていた夢を、どんどん叶えてしまおう。そして、どんな夢でも必ず叶えることができることを、みずから体現し生きたサンプルになっていこう。こどもたちには、そんな自分たちの姿をみせれば充分で、それ以上に教えることはほとんど何もないのではないかとおもう。大人たちが、自信を持って自分の夢を抱き叶えていき、こどもたちがそれにならう。こんな世のなかでは、自殺をしたくなるひとはいないのではないかとおもう。

 いま、やりたいことがわからない、夢といわれてもぴんとこない、そんな人でもだいじょうぶ。みたからは理屈ではないし、頭でわかったつもりになったからってどうにもならない。この生活習慣の素晴らしい効目をそれぞれに、日ごとの暮らしのなかで体感していくだけなのだ。